ドナルド・ヤングと報道加熱

2005年1月12日号のニューズウィーク日本語版にこんな記事がある。
「2005年、世界のキーパーソン(原題:Who’s Next 2005)」
この記事で当時まだ一介の上院議員だったバラク・オバマと共に一人のテニス少年が取り上げられている。
彼の名前はドナルド・ヤング、オバマと同じアフリカ系アメリカ人だ。
その記事には当時15歳だったヤングの輝かしい経歴と彼への"期待"が書かれている。


ヤングの驚くべき才能は10歳にして、あのマッケンローの目に止まるほどだった。
記事には当時マッケンローのこんなコメントが紹介されてる。
「私のよく知ってる左利きの選手にそっくりだな」
おそらく左利きである自身と重ねあわせたのであろう。

ヤングは14歳にしてプロに転向、すぐにナイキとテニスのトップブランドであるヘッドと契約。
翌年、最年少でジュニアの世界ランキング1位になり、同じ年のジュニアのオーストラリアンオープンで優勝を果たし、
さらにプロとしての初勝利も上げている。
名選手サンプラスと比較する声すら上がっていた。


しかし2005年の記事から8年、23歳となったヤングは記事が期待するような状況にはならなかった。
2013年現在ヤングの世界ランキングは152位(2013年7月8日)。
もちろん4大大会も一度も優勝していないし、ATPツアーでの優勝もない。
同年代のトップ選手にも大きく水をあけられてしまっている。
同い年の錦織圭はランキング12位(2013年7月8日)、2つ上のジョコビッチやマレーは複数のグランドスラムタイトルを手にしている。


彼が伸び悩んでしまったのは色々な要因が考えられるのだろう。
いくつかのメディアではそうした要因の分析をしているところもある。
しかし私が指摘したいのはそうしたことではなく、メディアの過剰とも言える"期待"についてである。


私自身、長いとは言えないスポーツ観戦歴の中でも、多くヤングと同じようなことを目にしてきた。
つまり若くして過剰な期待を背負わされていった選手たちだ。
もちろん中には大きな成功を掴んだ選手もいる、しかしその一方でそうした報道が足かせとなってしまった選手も多くいる。
メディアの過剰な報道は大きなプレッシャーを生んだり、あるいは選手に成功が約束されたかのような印象を与えることになってしまったりする。
私が考えるに、こうした報道は百害あって一利なしといったものだと思う。
人間というのは単直線的に成長するものではなく、周りの環境や自分自身の精神や肉体に大きく左右されながら成長するものだと思う。
決して10代前半における成功はその後も確実に続くものではない。
多くのメディアはこうした当たり前のことに目を向けずに報道する。
10代前半の選手たちにとってこうした報道を前に自分自身を保つのは非常に難しいことであろう。


ではどうしたら良いのか?
サッカーのプロクラブではクラブ側が報道に対して若い選手を守ることなんかはあるが、個人スポーツのテニスにはなかなかそうしたことが出来ない。
テニスの場合、国内のテニス協会の積極的な行動が必要になると思う。
協会は育成のみならずこうしたサポートも重要になるだろう。



参考文献
ニューズウィーク日本語版 2005年1月12日号
http://news.yahoo.com/mind-sight-whatever-happened-donald-young-154900891--ten.html
http://www.nytimes.com/2012/06/26/sports/tennis/wimbledon-loss-reflects-donald-youngs-inability-to-live-up-to-potential.html?_r=0

スペイン黄金時代は終わったのか?

2013年のコンフェデレーションズカップ決勝は開催国ブラジルと欧州チャンピオンにしてW杯チャンピオンのスペインとの対決になった。
世界中が拮抗した好試合を期待したが結果はスペインの完敗だった。2011年から続いていた連続無敗記録は26試合で終わった。


〜栄華を極めたスペインサッカー〜
2008年以降世界サッカーの覇権はスペインが握った。
代表チームは史上初めてEURO2008、W杯2010、EURO2012と主要な国際大会を3連覇し、
その代表の主軸選手が多く所属しているバルセロナが08-09と10-11のCLを優勝した。
またスペイン代表は2007年から2009年までの35試合無敗、今回止まった26試合無敗などの記録を作った。
記録だけではない。
スペイン代表とバルセロナの見せた、圧倒的なボール支配率のもと、長短のパスを素早く繋ぎ常に攻撃し続けるサッカーは世界中のファンを魅了した。
両チームは"史上最高"という形容詞とともに語られた。
しかし現在、状況は微妙に変わりつつある。

〜落日のスペイン〜
2013年、スペインサッカーはそれまでの強さを見せることができなかった。
スペインのクラブは昨シーズンに続きCLの決勝進出を逃した。
象徴的だったのは今シーズンのCLの準決勝、バルセロナバイエルンレアルマドリードルトムント
ドイツ対スペインという構造となった準決勝はドイツ勢の完勝となった。
特にバルセロナバイエルンではこれまで見せてきたバルセロナの華麗なサッカーは鳴りを潜め、バイエルンの完璧な試合運びを前に合計スコア0-7という驚くべきスコアで敗れた。
コンフェデレーションズカップ決勝でも同じくスペインらしいサッカーを見せずに0-3でブラジルに完敗した。
この2試合はスペインサッカーの退潮を強く予感させるものになった。


〜衰退したのか?〜
ではスペインサッカーは本当にこのまま没落期に入ってくるのか?
結論から言うと、"そうとは言えない"と思う。理由は3つある。

  • まず過去2シーズンのCL準決勝進出8チームのうち4つがスペイン勢であること。

これはイングランド勢が1つ、イタリア勢は0であることを考えるといかにすごいことかわかる。
ただ付記しなければいけないのはスペインの4チームとはいずれもバルセロナレアル・マドリーであることだ。
競争力という観点から見ればリーガエスパニューラの寡占状態はあまり良くないものだと思う。
短期的には力を集約できるという点で利点はあるが、長期的にはリーグ自体の魅力を下げ、サッカー人気の減少につながる可能性がある。

準決勝のイタリア戦は確かにあまり良くはなかったが、ウルグアイ戦では以前の輝きを見せ、
依然としてスペインが強豪国の名に値するチームであることを示した。

他国の代表クラスの実力がありながら現代表の層が厚いため選出とならなかった、若手が下の年代の大会で見事に
その実力を見せつけることができた。これはスペインにとっては最大の好材料である。


〜一極から多極へ〜
とは言え、スペイン黄金時代はその幕を閉じつつあると思う。
私見を述べれば、スペイン黄金時代を支えたキーマンはやはりチャビ・エルナンデスであった。
よくパスサッカーを中心のない"ネットワーク"のようなものだと語られることがあるが、私はそうは思わない。
バルセロナでもスペインでもパスサッカーの中心には常にチャビがいた。
彼の送り出す長短のパスとキープ力は世界でも比類なきものだったし、彼の年齢に伴う衰えがスペインサッカーに大きな影を落としているのだと思う。
ではこれからサッカー界はどうなるか?
わたしはポストスペイン時代とも呼ぶべき過渡期に入っていくと思う。
世界を見渡す限りスペインのような圧倒的存在感を持ったチームは見当たらない。
つまりどこか突出したチームが出てくるということはなく、多極化つまり群雄割拠のような状態になって行くと思われる。
もちろん強豪や中堅と言った流動的な枠組みを存在し続けると思う。
特にスペイン、ブラジル、ドイツ、アルゼンチンは強豪国としてリードする存在となるだろう。
来年のワールドカップは拮抗したパワーバランスのもとで行われ、沢山の好試合が期待できると思う。
すでに胸が躍る気分である。

芝生とテニスのはなし

 イギリスで生み出されたスポーツには芝生の上でやる競技が多い。
サッカー、ラグビー、テニス、ゴルフ・・・
そういえばイギリスと聞いて思い浮かぶ風景といえば、歴史ある街並みに赤いバスが走るロンドンか、
もしくは芝生が広がる丘に羊が走るコッツウォルズの風景だ。
イギリス人にとってもおそらく芝生のある丘が原風景となっているはずだ。
なるほどだからスポーツも芝生の上でやるのか。
少々無理矢理な感じもするが、イギリス人の芝生に対する思いは本物だ。
サッカーの欧州トップリーグで最もいい芝生を用意してるのは間違いなくイングランド・プレミアリーグだ。
毎試合青々とした綺麗な整備の行き通った芝生を見ることができる。
そんなイギリス人の愛する芝生が批判の矢面に立たされている。
伝統のウィンブルドンテニスにおいてだ。


 ”波乱の大会”
このように形容されてもなお足りない感じすらする。
男子では全仏オープンにおいて史上最多の優勝回数を持つラファエル・ナダルと四大大会の最多優勝回数を誇るロジャー・フェデラーが2回戦までに敗退した。
女子では世界ランキング2位のビクトリア・アザレンカと3位のマリア・シャラポワがいずれも2回戦で大会を去ることになってしまった。
また6月26日の一日だけで7人の棄権者を出した、これはウィンブルドン史上最多だそうだ。しかも1回戦の半分の人数しか出場しない2回戦であることを考えると異常なことだ。
もちろん単なる偶然と考えることもできる。
しかしアザレンカとシャラポワの敗退は単なる偶然とは違う印象を与える。
アザレンカは1回戦マリア・ジョアン・ケレル戦で芝生に足を取られ激しく転倒してしまった。
あまりの激しさに泣いてしまうほどだった。その後アザレンカはこの試合には勝利したものの、怪我の状態から2回戦は棄権した。
同様にシャラポワは2回戦で試合中に足を滑らせ3度も転倒し、臀部を痛め、その試合で負けた。
試合後、アザレンカとシャラポワは今大会の芝生に対して苦言を呈した。
確かに一人の観戦者として筆者自身も今大会は例年より多くの選手が芝生に足を取られてるように感じる。
一部のメディアでは同会場を利用したロンドン五輪や、グランド管理主任の交代などが原因ではないかと言われている。
しかしいずれも噂の段階で、何らかの検証が行われたわけではない、コートの整備担当責任者はコートは例年通り整備されていると主張している。
そのため現時点で何が原因かを断定することはできない。

 ただ報道を見ていて芝生とは無関係な事でひとつ気になることがあった。
それは今回の波乱の引き合いに出された以下の様な記録についてだ。
・今回、1つのラウンドで8人の棄権者を出したのは"2008年"大会と並んでウィンブルドンでの最多記録。
・四大大会での1つのランドの最多棄権者数は"2011年"の全米オープンで9人。
・オープン化後のウィンブルドンでの一大会の最多棄権者は"2008年"の13人。
気づかれただろうか、今回の出来事を含め、主要な棄権者記録は2008年以降に起こっているのだ。
なぜだろうか?
筆者なりの推論を書くと、原因の一つは戦術の変化にあると思われる。
かつてはサーブアンドボレーなどを多用した選手も多く、ポイントごとの時間は短く、フルセット行なっても比較的体力に余裕があったが、
最近ではベースライン上でのストロークが増え、試合時間が伸び、疲労度も増す傾向にあるように思われる。
一つ記録を出すと各4大大会での男女の最長試合の記録は8個中4つが2010年以降に作られている。
またテニスの日程は他のスポーツでは見られないほど厳しい。
大会が始まると毎日もしくは中1日で1時間半〜3時間の試合が行われ、大会自体は2週間に1回のペースで開かれる。
しかもシーズンオフは非常に短い。
トッププレイヤーになると11月の中旬から下旬にツアーファイナルがあり、シーズンが終わり、年を越すとすぐにシーズンが開幕し、1月の中旬には全豪オープンがあるのだ。
つまりシーズンオフは1ヶ月程しかないのだ。
こうした過密な日程と試合の長時間化などが選手の消耗させ棄権が多くなっているのではないか。

 確かに今回のウィンブルドンでの出来事は驚くべき光景だった。
しかし実はそうした問題は今回突如として湧いてきたわけではなく、それまでの傾向にいくつかの他の要因が重なって起こったのだと思う。
ナダルフェデラーの敗退はテニスファンにとって少し残念ではあるが、こうした出来事が選手への負担を再考するいい機会になれば良いと思う。


参考URL
http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/wta/2952804/10967703
http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/atp/2952822/10970136
http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/wta/2952669/10965852
http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/wta/2952435/10967241
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2013/columndtl/201306270001-spnavi

ブラジル対イタリア


1950年のワールドカップ以来64年ぶりのワールドカップ開催を控えたブラジルはすでにワールドカップの雰囲気を感じさせるものだった。
2013年コンフェデレーションズカップグループリーグ最終戦ブラジル対イタリアの話である。
選手入場直前に会場に響き渡ったのはブラジルコール、入場後の国歌斉唱では演奏が終了したにも関わらずスタジアムの観客の合唱は止まなかった。
重要な国際試合とはいえ滅多に目にしない光景だった。
試合は開始直後会場内のテンションに押されたブラジルチームは猛攻を仕掛ける。前線からのプレス、素早いパス回し、鋭いシュート。
しかしそこに立ちはだかったのはイタリアのゴールキーパー名手ブッフォン
開始10分までに猛攻しかけたブラジルであったが、序盤のハイテンションの影響からか、徐々にそのペースが下がって行く。
ブラジルの激しいプレスによってイタリアは攻撃は皆無ではあったが、ブラジルの決定的チャンスはそれほど増えては行かなかった。
ブラジルの緩慢さと鋭さが交じった攻撃とイタリアの意地とも呼べる守備によって、試合は大きく動かなくなる。
このまま後半を迎えるかと思えた前半45分、ネイマールフリーキックからフレッジのヘディング、それをブッフォンがセーブをするがダンチがこぼれ球に反応した。
ゴール!
華麗なテクニックを得意とするブラジルにしては意外な先制点だった。
だがその一方で試合の展開を考えれば当然とも言える先制点でもあった。
そのまま前半終了。
イタリアにはやはり前半を踏ん張りきれなかった、悔しさがにじみ出る。
後半開始。
立ち上がりすぐにイタリアが同点ゴールを決める。
ブッフォンパントキック、競り合いからこぼれたボールをバロテッリがヒールで驚くべきパス送る、抜けだしたジャッケリーニが受けて見事にゴールに突き刺した。
前半時折攻撃を見せたもののゴールの匂いを全く感じさせなかったイタリアが、彼らのイメージ通りのゴールを決めた。
静まり返るスタジアム。意気消沈といったブラジルイレブン。
しかしそれを救ったのはここまでメキシコ戦に比べ精細を欠くエース、ネイマールだった。
左サイドからカットインしたネイマールはファールを誘い、絶好の位置でフリーキックを得る。
ここからは若きエース ネイマールとベテランの名手ブッフォンとの勝負である。
通常ペナルティーエリア付近でのフリーキックは壁の上を超えゴールキーパーのいない場所に蹴るのが定石だ。
しかしネイマールはあえてブッフォンのいる方に蹴り、逆を突いた。
ボールは決められたコースが有るかの様にゴールに入っていった。
ゴール!
会場は割れんばかりの歓声。試合前の期待はここで爆発したのであった。
ゴールの余韻が残る中で、立て続けに攻撃をしかけるブラジル。そしてすぐに追加点が生まれた。
フレッジの見事なトラップからエリア内に持ち込みシュート。ネイマールほどの華やかさはないが素晴らしいゴールだった。
スタジアムは歓声とともに拍手が聞こえるような、勝利を確信した雰囲気になった。
その雰囲気はスタジアム中に広がりスコラーリ監督にも伝わった。
ネイマールの交代。
中2日で疲れがたまるエースを温存という判断だったのだろう。
しかしこの交代はスタジアムの雰囲気とも相まってブラジルイレブンに向けた誤ったメッセージとなってしまう。
ネイマール交代直後、70分コーナーキックからの混乱の中からキエッリーニがシュート。
ゴール!
またも1点差となる。
その直後からイタリアが息を吹き返し、猛然とゴールに迫る。
脅かされるゴールにブラジルはもう一度集中力を高めようとするが、イタリアの攻撃は続く。
80分イタリアはコーナーキックを得る。キッカーはカンドレーヴァ
センタリングは鋭く弧を描きながら、フリーのマッジョに向かう。
マッジョの強烈なヘディング。ゴールか一瞬そう思われた瞬間。
「カーン」と大きな金属音とともにボールは大きく跳ね返りペナルティエリアの外まで飛んでいった。バーにあたりゴールならず。
会場には大きなため息。
その後一進一退の攻防となる。
87分、ようやく試合の決まる瞬間がやってきた。
マルセロが放ったシュートをブッフォンが弾きフレッジがゴール。4対2となる。
そのまま試合終了。
この試合の結果から、ブラジルは開催国としてまたサッカー王国として面目を保つグループリーグ首位通過となった。
しかしスコラーリ監督は肝を冷やした事であろう。
もしマッジョのヘディングがバーに阻まれずに決まっていれば、試合後のスタジアムの雰囲気とスコラーリ監督の評価は正反対となっていた可能性も十分にあった。
スポーツの世界では常に言われてきた言葉、またスコラーリ監督自身も何度も聞いてきた言葉をもう一度監督自身反芻しただろう。
「スポーツは最後まで分からない」と。

コスポリタン オデムウィンギー


古来インド、中国、ペルシアを結ぶ国際交易の中継地として繁栄したサマルカンド(写真)。かつてここには多様な文化的背景を持った商人たちが行き交い、多様な言語が飛び交っていたのだろう。大陸を股にかける彼ら商人たちは今日的な言葉を使えばコスモポリタンとよべるだろう。
1981年、そのサマルカンドから北東に250km余りはなれたウズベキスタン(当時ソビエト連邦) タシュケントで生を受けたのがピーター・オデムウィンギーである。彼は今、サッカー選手として活躍をしているがその生い立ちはとても興味深い。
ざっと彼の人生を振り返ってみよう。

ピーター・オデムウィンギーは医師でロシア人の母と同じく医師でナイジェリア人の父の間に生まれた。1歳の時に父の祖国ナイジェリアのベニンシティに行き、7歳か8歳でウズベキスタンに戻る。
彼の本格的サッカーキャリアはこの地で始まる。高校卒業までにウズベキスタンのFCパフタコールタタールスタンのKAMAZナーベレジヌイェ・チェルヌイ、CSKAモスクワのユースシステムを渡り歩いた。
17歳で再びナイジェリアに行き、かつて父親が働いていたベンデル・インシュアランスF.Cに入団し、このクラブでプロデビューを飾る。しかし体が小さかったオデムウィンギーにとってチームのフィジカル重視のスタイルは合わず、チェルシーミケル・ジョン・オビなどを生んだペプシアカデミーに移籍した。
2002年にヨーロッパに行く決意をし、ベルギーのチーム ラ・ルヴィエール移籍した。2004年にフランスのリールに移籍、2007年に700万ユーロの移籍金でロシアのロコモティフ・モスクワに移籍した。2008年にはナイジェリア代表として北京オリンピックに出場し銀メダルをとっている。
さらにロコモティフ・モスクワでの活躍が認められ2010年にトップリーグの一つであるプレミアリーグ ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに移籍し現在に至る。
お分かりいただけただろうか、彼は今に至るまでにウズベキスタン、ロシア、ナイジェリア、ベルギー、フランス、イギリスと実に6カ国に移住した経験を持ち、ロシアとナイジェリアという遠く離れた二つの祖国を持つのである。また彼はこの間ロシア語、フランス語、英語を習得した。グローバル化が進んだサッカー界においてもこれだけ国際性に富んだプレーヤーは少ない、稀有な存在なのである。

ただそんな国境を飛び越える男にも、困難はあった、一つは人種差別である。
少年期にいたウズベキスタンやロシアではまだ有色人種に対する差別的な感情が存在し、ロコモティフ・モスクワに所属していた頃のスタジアムでは多くの差別的野次が多く飛んでいた。また彼がロコモティフ・モスクワを退団するときにはスタジアムにバナナ(差別的意味のある)の絵が書かれた横断幕が掲げられた。しかし彼は自らに飛ぶ野次よりもチームメイトのブラジル人に飛ぶ野次のほうが心を痛めたという。なぜなら彼自身野次を飛ばしている人間と同じロシア人でもあるからだと言う。
また彼は自分のアイデンティティにも困難さを感じるという。"自分の魂はロシア、ナイジェリアどちらにあるのか?"と

しかしこのような困難があろうとも、彼は多くの国を渡り歩く自らの境遇をきっぱりと「幸運」だと言う。
なるほど彼はこの境遇を楽しみ、またこの境遇と闘いながら生きていうのだ。そう彼はかつてサマルカンドを行き交い、故郷から遠く離れた地へと足を踏み入れていった商人たちと同じ冒険心あふれるコスモポリタンなのだと感じた。


参考URL
http://www.firsttouchonline.com/2011/04/peter-odemwingie-interview/
http://www.guardian.co.uk/football/2012/apr/21/peter-odemwingie-west-bromwich-albion
http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1316923/Peter-Odemwingie-exclusive-Every-time-ball-Russia-hear-racism.html
http://www.pepsifootballacademy.com/graduates
http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/west-bromwich-albion/8275927/West-Brom-striker-Peter-Odemwingie-finds-England-is-definitely-to-his-taste.html
http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=1421127.html
http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=556292.html

書評:川島浩平「人種とスポーツ」中公新書


「黒人は生まれつき身体能力が”優れていない”」
こう聞いてあなたはどう思うだろうか?多くの人は面くらい反論するだろう、「いいや、黒人は生まれつき身体能力に優れている」と。
しかし上記の考えは欧米では長らく支配的な考えだったのである。
著者は言う「当時(評者注 :19世紀中葉から20世紀初頭)流通した黒人の身体に対する否定的言説は枚挙にいとまがない。」
しかし現代に目を向けてみると状況は正反対である。
本書内で次のような統計が引用されている。
1991年12月のUSAトゥデイのアンケート調査で回答者の半数が「黒人は生まれつき優れた身体的な能力を有している」と答えた。
公民権運動など黒人の差別と権利回復を経験し、差別感情に敏感なアメリカですらこのような状況である。
ではなぜこのように人々はこう考えるようになったのか、著者は2つの立場から検討する。
一つは「ステレオタイプや生得説は歴史的に形成されてきた」、もう一つは「『黒人』とみなされた人々を運動競技種目で優位に立たせる環境的な要因にも注目しなければならない」
著者はこれについていくつかの回答を本書で示している。その一つにマラソンの例がある。
一般的にマラソンは”黒人”であるエチオピア人とケニア人が強いとされているが、実は有力なランナーを生んでいるのはエチオピアでもケニアでも高地のごく一部の地域に限られているのだ。
これは2012年7月放送のNHKスペシャルでも科学的に検討されている。
「黒人は生まれつき身体能力が優れているのか?」という疑問に当然ながら本書で完全な回答がなされている訳ではない。恐らく本当の意味での科学的解決を得るのはまだ長い歳月が必要であろう。
しかし現状において最も深刻な問題はこうした問題が科学的に解決されないことより我々がステレオタイプ的な言説を安易に受け止めてしまうことであろう。本書はそういう事への戒めの本であると思う。



川島浩平「人種とスポーツ」中公新書